ヨーガ哲学の中には、対話形式のものがたくさんあります。
有名なものでは『マハーバーラタ』の一部におさめられている『バガヴァッド・ギーター』でしょう。
生徒役のアルジュナの質問に、先生役のクリシュナが答えていくことで、話は進んでいきます。
これは、インド哲学だけではなく、西洋哲学にもよく見られる書き方です。
問答形式は問いが大切
わたしは若いころ、ファシリテーションを勉強してきました。
その中で学んだのは、「良いファシリテーターは、良い問いをする」という事です。
この問いが正しければ、議論は活発になり、良い結果や答えが導き出されます。
逆に言えば、問いが間違っていれば議論の方向はずれ、結果にも影響してきてしまいます。
ヨーガ哲学の中で、この問いをするのは生徒役です。
問答式の哲学書を読むと、この生徒役の問いがとても鋭くすぐれているから、先生から良い言葉が導き出されているのを感じます。
今の時代に哲学は必要?
「哲学対話」を勧める梶谷真司先生によると、哲学とは「問い、考え、語り、聞く」ことだそうです。
最近は、答えばかり求めていて、何か知らないことがあると、ちょっとしたことでもすぐにインターネットで検索して「答え」を見つけて一人で解決します。
なので、普段は素早く簡潔な答えを求めるばかりで、問いもしなければ考えることも、語ることも聞くこともほぼありません。
こんな便利な世の中に、果たして哲学が必要なのでしょうか。
「哲学対話」は、人と自由に問い、語り合うことで、考えが広く深くなり、その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、自分自身を開放してくれるとのこと。
確かに、今、毎日コロナのニュースばかり聞いていて、その表面的な情報に喜んだり不安になったりしてしまったりします。
便利だけど不安な、こんな時こそ、「問い、考え、語り、聞く」ことで、情報の本質を見ることができるかもしれません。
まとめ
対話形式の哲学書は、問いの鋭さもあって、答えが引き出されています。
哲学とは、問い、考え、語り、聞くということなので、この便利だけど不安な世の中には必要なものかもしれません。