Apricot tree yoga
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philosophy

【アヒンサー】非暴力は、他人のためではなく自分のために行うもの

自分を攻撃してくる人に悩まされることがあります。

もちろん、こっちは間違ったことをしたわけではないと思っていた行動に対しても、相手のとらえ方が違い、責められることもあります。

 

ヨガの八支足の一番初めにヤマ(自分と他人、自分と社会との関係での規律)があります。

その最も始めに出てくるのが、アヒンサー(非暴力)です。

アヒンサーは、残りの4つのヤマ(サッテイヤ、アステーヤ、ブランマチャリヤ、アパリグラハ)とニヤマ(シャウチャー、サントーシャ、タパス、スヴァディヤーヤ、イーシュワラプラニダーナ)の中でも、最も大切な事で、その他のことは、アヒンサーを達成するための手段だと言われています。

自分や他人を、いかなる形でも傷つけない、というのがアヒンサーの意味です。

いかなる形でもダメなので、行動だけでなく、言葉による暴力ももちろんダメ、さらにいえば、心の中で思う事もダメなのです。

人は、自分の願望のごとくになる

願望は意図のごとくになる

意図は行いのごとくになる

行いは宿命のごとくになる

ブリハッド・アーラーニャカ・ウパニシャッド

こころの中なんて、誰にも見えないのですが、そこですらサットバであるべきだと説かれています。

難しいですね。。。

 

さらに、自分は他人を傷つけるつもりなんて全くなかったのに、自分の言動で相手が傷ついたなんら、それはアヒンサーを実行していないということになるのです。

かなり難しいですね。。。

 

このように難しいアヒンサー、なぜ、重要なのでしょう。

それは、他人を傷つけなければ、自分が傷つけられずにすむからでなのです。

自分を傷つけることがない人に対して、人は攻撃はしてきません。

なので、アヒンサーは、他人のためにやっているのではなく(もちろん他人にとってとてもいいことなのですが)、自分のためにやっているのです。

 

暴力的な想念を抱かなければ、自分の心もサットバになります。

もちろん、発する言葉も、行動も、良い方向にすすむのです。

良いループが生まれますね。

 

会ってみると、「この人の前では、リラックスできるな」と思える人がいます。

そういう人が、きっとアヒンサーを実行してきている人なのでしょう。

それはきっと、並々ならない努力ではないはずです。

攻撃してくる人がいるうちは、努力が足りないと思わなければいけませんね。