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祈りにも色々な段階があります。
第一段階は、困ったときだけの祈り(神頼み?)。
不摂生をして病気になったからどうにか治してほしい、とか、普段は神様なんか信じていないけれど、どうか神様、この試験に何とか合格させてほしい、などです。
第二段階は、毎日祈るけれども、利己的なものの要求をする祈り。
健康でありますように、お金が増えますように、事業に成功しますように、といったものです。
第三段階になってくると、自分だけでなく、人のために祈りになります。
コロナにかかってしまった人が回復しますように、とか、医療従事者の方々が守られますように、戦争がなくなりますように、などです。
最終的には、宇宙と自分が一体であることを感じるものとなります。
祈りの段階にしたがって、サットバな要素が増えてきます。
わたしは毎日瞑想しますが、自分のために祈ることもあれば、世界のために祈ることもあります。
グナは変化するものなので、ラジャス的な日もあれば、タマス的な日もあります。
それでも毎日瞑想を続けることができるのは、成功体験があるからです。
アーサナや筋トレでも、身体が痩せたり引き締まったりする成功体験があると、続けるモチベートになるのと一緒です。
どんな成功体験があるかというと、うまく言葉にできないのですが、瞑想をするのとしないのとでは、生活する上での安心感が違うのです。
すべてがうまくいくようにできている感じがする、といったらいいのでしょうか。
「日々祈っているのだから(行為)、結果がついてくるだろう」と確信している、と言ったらいいのでしょうか。
うーん、もう少しうまく表現できるようになりたいです。
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