ヨガの八支足のニヤマの最後のイーシヴァラ・プラニダーナ。
TTCだと、「神への祈念」や「神への献身」とざっくりと習いました。
うーん、わかるような、わからないような…。神社に手を合わせに行くことなのかな??
漠然とした気持ちだったのを覚えています。
そもそも、イーシヴァラという言葉が、「神」と訳されているから混乱を招いていると、ヴェーダの先生はよく言います。
人はそれぞれ、神様、というものは人によってイメージがあまりに違うからだそうです。
サンスクリット語から適切な英語や日本語に訳するには、かなり深い言葉なんですね。
イーシヴァラは、ヨーガスートラでは、「純粋な意識」という意味です。
それは、無限に広がり、時間にも影響をうけません。
時を超えた永遠の存在であるイーシヴァラは、過去でも、現在でも、未来でも存在していて、いつの時代のグルにとってもグルです。
全ての認識力の根源であり、個人の認識力の根源でもあります。
これを聞くと、自分がイメージしている「神様」とはちょっと違う感じがしませんか。
イーシヴァラ・プラニダーナという言葉そのものは、チッタ(心)を離れ、至高の存在であるイーシヴァラの中に自分の意識を置くこと、という意味です。
深い瞑想がこれにあたる、という解説もあります。
マハーバーラタの作者、ヴィヤーサは、ヨーガスートラの解説者としても有名です。
彼の解説によると、
「イーシヴァラ・プラニダーナとは、一切の行為を最高のグル(イーシヴァラ)の中に向けること、あるいはそれ(行為)の結果を断念すること」
となっています。
全ての行為をグルに捧げ、行為の結果を手放す。。。
これは、まさにカルマ・ヨーガと同じですね!
カルマ・ヨーガとは、すべての行いをイーシヴァラに捧げるものとし、ダルマを出来るだけ選び、アダルマを避ける、そしてその行為の結果は、イーシヴァラからのプラサーダ(おさがり)として受け取ることです。
こうやってニヤマの中のイーシヴァラ・プラニダーナを考えてみると、
「日々の深い瞑想を行う」
「カルマ・ヨーガの実践」
だと考えられます。
これならわかりやすくて、実践しやすいですね。(難しいけど)