ヨガという言葉が一般的になって、「ヨガやっています」と言っても、「何それ?ヨガって何??」と聞かれることはありません。
でも、「ヨガやっています」というと、「身体柔らかいんでしょう?」「すごいポーズが出来るんでしょう」とは、今でもよく言われます。。。全然ですが。
でも改めて「ヨガって何?」と問われたら?
ヨガの語源はyuj
ヨガの語源は、サンスクリット語のyuj。
これは、①結合する、繋げる、という意味と、②集中の意味があります。
①結合する、繋げる
①の意味だと、ブランマンに心を結びつけるという、ヴェーダンダ的な解釈になります。
カルマ・ヨーガは、世界の源であり、この世にあらわれたすべてでもあるイーシュワラを想って行動し、結果はイーシュワラからのプラサーダ(おさがり)だと思って受け取るということ。
ニャーナ・ヨーガは、人生のすべての時間をかけて、ヴェーダ(聖典)の知識を学ぶこと。
バクティ・ヨーガは、イーシュワラ献身的に想い、深く関わること。
すなわち、今世で生きている時に、イーシュワラを想ってする行いは、すべてヨーガといえます。
道徳的な観念ですね。
また、yujは繋げるという意味なので、離れてしまった自分の内側と外側を繋げる、心と身体を繋げる、自分と社会を繋げる、という意味だともとれます。
②集中
②の集中の意味ではどうでしょう。
これは、ヨーガを明確に体系づけた『ヨーガ・スートラ』を読む際に使われる意味です。
ヴィヤーサという聖仙が解説した『ヨーガ・スート』』の解説書ではこう書かれています。
ヨーガとは集中である。そしてそれは、すべての段階において、チッタの性質である。
つまり、ヨーガは集中を高めること、これには段階があり、それはチッタ(心)の性質だということ。
心の性質にはサットヴァ(純粋性)、ラジャス(激性)、タマス(怠性)の3つあり、そのうちの1つであるサットヴァを増やすものということになります。
ヨーガの実践は、集中の流れであり、最終的に極まったものがサマーディ(三昧)なのです。
これは修行法になりますね。
現在のヨガ
このように、人間の心の面を扱った『ヨーガ・スートラ』(BC3c)は、のちに、身体からサマーディへのアプローチを試みる『ハタ・プラティピカ』(AC10c)と融合し、現在のヨーガができました。
なので、今のわたしたちが行っているヨーガとは、心と身体の両方からサマーディを目指す、つまり「心と身体をベストな状態にすること」です。
アーユルヴェーダとヨガ
アーユルヴェーダにおける健康の定義の一つは、「心と身体と5つの感覚器官と魂の調和がとれた状態」と言われ、これを実現する科学がアーユルヴェーダだと言われています。
目指す健康は「心と身体が最適な状態であること」なので、同じですね。
なので、ヨーガとアーユルヴェーダは両輪だと言われるのでしょう。