若いころは、親が子どもを虐待したというニュースを聞くと、「なんてひどい、最低な親だ!!」と思っていたのですが、実際子どもをもつと、そう簡単に思えなくなります。
というのも、子どもがいる生活は、それはそれはハッピーなのですが、それまでの人生では経験しなかった辛く苦しい思いをすることもあるからです。
虐待していた親は、きっとなんらかの事情があって、とても苦しんでいたのではないか、人知れず苦しん苦しんで、かわいい自分の子どもに手をあげてしまったのではないか、と思えるようになりました。
物事の背景までよく知ることは不可能ですが、想像をしてみることは、大切なことです。
ある発言で、炎上している人のニュースを見ました。
コメント欄には、その人を責め立てる言葉がずらりと、それこそ何千件以上も並んでいます。
その中に、興味深いコメントがありました。
「炎上している彼は、小さいころいじめにあい、母親と猫しか信頼できなくなったのだろう。ひどい言葉をかけ、ひどい事をしてきた人たちを「成功」することで見返したいと思ってきたのではないだろうか。いじめとは、人生を変えてしまうくらい大きなもの、相手にかける言葉や言動には気を付けるべき。」というようなものでした。
その人の発言は悪かったにせよ、その人を責めるよりも、丁寧に背景を観て、建設的な意見を述べています。
具体的にはわからなくても、ほんの少しでも背景を知ると、小さいころにその人が深く傷ついた経験は想像できます。
わたしも、数年前のいじめが今でもフラッシュバックして、苦しむことが頻繁にあります。きっと何年経っても続くのでしょう。
この渦中にいる人も、経済的に成功をした今でも、その頃の苦しみを引きずっているかもしれません。
そうやって裏側まで思いをはせると、一方的に「この人が悪い」と決めつけることは誰にもできないのではないのでしょうか。
こうやって、物事の背景まで想像してみることは、寛容(クシャマー)につながるとヨーガでは言われています。
何かあった時に、あなたが悪い、と糾弾するのはとても簡単ですし、ネット社会の今、見ず知らずの人たちが寄ってたかって責めるのも簡単です。
でも、背景を良く見ることで、理解できることがあります。
これが、調和の社会に繋がるのではないかと思います。